2009年9月17日のブログ 韓国伝統演戯祝祭@ソウル1日目

16日、付き添い通訳のイ・ミョンウンちゃんが宿に迎えに来てくれてタクシーで国立博物館へ。

初日は11時から「別神クッ」が東海岸から来てイベントの成功を祈祷するセレモニーがあった。ベテランらしきムーダンが2人くらいと若手が5人、そして奏楽の男たち6人。

たっぷりと舞って歌って、ラップのように語って、イベントの成功や人々の健康、世界平和などを祈祷したらしい。僕の名前もその中で読み上げられた。ありがたいことである。

途中、リーダー格のムーダンが歌っているときに後ろの物陰から、一緒に歌って振りを真似して勉強している若手の姿が見えた。こういうシーンを見るとうれしい。

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あっ という間の1時間の「クッ」が終わり、昼食は会場内に作られた「昔の暮らし再現ゾーン」の中の食堂で、クッパを食す。中国から来た審査員の翁先生とその通 訳ボランティアと四人なので、昼からマッコリも。翁先生は去年の晋州でもお会いした上海師範大学の教授。日本語を話すので申し訳ないが、助かる。女性なの でちゃんとチャイナドレスを着ていた。

この「再現ゾーン」は村の様子が再現されていて、バイトの若者たちがあたかも昔の装束で生活しているようにふるまっていて、ドラマのセットのようだ。

また通路には伝統工芸のワークショップをするテントなどが並ぶ。そしてそのテントには古い民家の外観がプリントされているところが芸が細かい。

韓国はこういうイベントのやり方のセンスがいいなあ。

物販や食堂などの料金はここで使う「ゾーン通貨」である昔のお金「ヤン(両)」に両替して使うのだが、そのための古銭のレプリカも作っているのだ。

http://www.livexseoul.com/bbs/view.htm?b_id=8&seq=244

1時からはそのゾーンの中で、ナムサダンの芸のひとつ、綱渡りを見る。若手だったがかなりの技量で感心した。

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審査員の会議までの時間にネットするところを探して、博物館内のカフェにたどり着く。ありがたいことに無線LANのパスワードを教えてくれたのだ。

これで、しばし本の編集最終段階のやりとりをする。こちらも綱渡り作業だ。

そ の後、審査員とVIPのお茶会というものがあり、自分の名札のある席に着いたのだが、司会進行というものはなく、結局これはその後の開会セレモニーに揃っ て入場するための集合場所というようなことだったらしい。何人かと名刺交換。一番のVIPの文化観光体育局の大臣と挨拶をした。

開会セレモニーは、和太鼓グループみたいな韓国太鼓グループの演奏から始まったが、リズム感覚が違うので、印象が和太鼓とかなり違う。迫力過剰という点では同じだが。

大臣の挨拶のあと「アリラン」の特集。どうやらアリランには四種類あって、それをすべて披露してくれるらしい。

昔の生活ぶりを再現したり、今風のアレンジをしたり、いくつかのグループが出てきてアリランを様々な見せ方で披露してくれ、どうもかなりのその世界の国民的歌手が歌っていたようだ。

これをVIPとして一番前の席で見ることが出来、ありがたいことだった。テープの残り時間が少なかったが、ビデオも取りやすかったし。

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宿に帰って、寝不足だったのでマッコリをちょっと飲んで就寝。なんと今回はまだ焼酎を飲んでいない。ひょっとしたらあと二日くらいはマッコリだけかも。

下の写真は夜のテント

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2009年5月30日のブログ 晋州仮面劇フェスティバル二日目

例年だと前の晩にたくさん飲んでしまい朝食をパスすることが多かったが、最近酒量が減っているのでなんとか起きられる。

歩いて2,3分のところにある食堂が今年の朝食の場所で、汁ものの店である。この日は豆腐の汁で絹ごしの食感の豆腐がたくさん入っていて、辛くないので神楽の人たちにも好評。

8年前は朝食の時から焼酎を飲んでいたなあ、と思い出す。

11 時から日韓中の三カ国が「獅子舞」についていろいろ報告をするシンポジウム。まずは石鳩岡神楽の権現舞を舞台で軽く披露。そのあと東京から来てもらった井 上隆弘先生が報告をする。中国、韓国は獅子舞の歴史を報告していたが、井上先生は日本列島土着の動物霊の死霊祭儀と渡来の獅子舞という観点で、かなり深い 内容の報告をしてくれた。

僕は井上先生の後に、少しだけ獅子舞の多様な姿を紹介。本当は「討論者」として井上先生の報告に対して質問をしたりする役割なのだが、学者じゃないし、獅子舞は詳しくないので質問はナシにした。

博物館の食堂でのビビンバの昼食をはさんで、庭で中国と韓国の獅子舞の披露。上海から来た中国のは信仰性はなしでただ派手なだけ。中国人の好みもあるが、国の事情で信仰面での「復元」は難しいようだ。

16時にシンポジウムが終わり、宿へ戻って9月の伊勢大神楽ソウル公演の打ち合わせをしてから、仮面劇フェスティバルの会場へかけつける。神楽の出番は18時である。

実は今回、石鳩岡神楽理のメンバーが一人急に来ることが出来なくなって、演目の関係から僕も手伝うことになったのである。何をするかというと「岩戸開き」の演目の天照大神の役なんだけど、ほとんどの神楽で岩戸開きのアマテラスはじっとして動かないので誰でも出来ると言えば出来る役なのである。

衣装を着させてもらって、スタンバイ。早池峰神楽は舞台の後ろに幕を張り、そこから出入りをするのだが天照大神はその幕の後ろに座り、岩戸が開いたということで幕を上げて姿を現すのである。

「あまり上を向かないよう」と面を下げられてしまったので地面しか見えず、舞の様子が全然見えなかったのが残念。終わった後みんなから「拝ませてもらいました(笑)」とからかわれた。

無事に神楽が終わり、毎年夕食の場所になっている近くのコムタンの店でビール&焼酎で乾杯。

そして早めに宿へ戻ったのだが、スタッフが一軒飲みに行きましょう、ということで連れて行ってくれたのが僕の大好きなピョンヤンピンデトックの店。神楽の人たちがすっかり気に入ってしまったマッコリとともに一年ぶりに食べることが出来た。。

部屋に戻って直会。石鳩岡神楽では権現舞で神様に捧げた御神酒をその夜にいただくというしきたりがあるのだ。太鼓の上に権現さまを安置して御神酒を供え、お参りをしてから飲むのである。実に真面目に酒を飲むというわけ。

2009年3月8日のブログ 布川の花祭

10年前から通っている布川の花祭に行って来た。行かなかった年は2004年だけなので9回目だ。

やみつきになって毎年通ってくるこういう人間は「花狂い」と呼ばれる。

この一帯で行われている花祭は冬至祭りの意味を持つ霜月祭りの湯立神楽なので多くの地区では11月とか正月に行うところが多いのだが、この布川地区だけ3月の第一土日に日程を変えていて、真冬より暖かいため、大きさのわりにはけっこう人が集まってきて、今年は僕が見た9回の中でももっとも人出が多かったかも知れない。

でも、来ている人は「花狂い」ではなく、「一度は見てみよう」と思って来る人がほとんどで、特に最近はリタイアした年代の「奥さん」グループが目立つ。ようするに「おばさん」が多い。

だって、夕方の湯立の神事あたりはあまり見る人がいないのだが、神事が終わる頃に現地に着いたら、もう座って見るエリアの半分はおばさんたちによって占められていた。

でも、このおばさんたちは朝までいることはなく、夜中の山場、子供たちによる「花の舞」や鬼が出てくる「山見鬼」を見たあたりで帰って行くから、そのあとは地元の人や「花狂い」が落ち着いて楽しめるかんじだ。

神 事が終わって舞いが始まるまでに休憩があり、祭りの関係者は夕食を取る。一昨年から僕は会場のそばにあるMさんのお宅にお邪魔して夕ご飯と朝ご飯をいただ くようになっているので、今年もお邪魔にしてごちそうになった。Mさんのお兄さんや同級生とかと一緒に話しに花が咲き、舞いが始まる時間になっても会場に 行かなくて、WBCの野球も見ないでいろんな話しをした。結局会場にいったのは8時半頃だっただろうか。

僕は何年か前から神座(か んざ)という、花太夫さんが太鼓を叩き、お囃子の人が上がる結界の中で笛を吹かせてもらっているが、去年からボランティアサポーターが大勢神座に上がって 笛を吹くようになったので、今年からは舞を舞う「舞処(まいど)」に降りて「せいと衆(祭りに参加する観客)」をやろうと思っていたので、9回目にして初 めて舞処に降りた。

それまではよそ者だし、ビデオも取りたいし、ということがあって、舞処へ降りることはほとんどなかったのだが、 ここ数年写真を撮るカメラマニアばかりが取り囲む舞処になっていて「うたぐら」を歌うせいと衆も少なくなっていたから、ひとつうたぐらに挑戦しようと決め ていたのである。

ちょいと上がり込んで隅っこに荷物を置き、すぐに舞処に降りて「せいと衆」となる。酒が入っていい気分になった 「せいと衆」は舞い子の邪魔にならないように取り囲み「テーホヘテホヘ」とか歌を歌ったり、かつては舞い子を励ましたり冷やかしたり、この時だけは許され るという悪口を行ったり、別名「悪態まつり」と言われたほど、祭りを盛り上げる重要な役目なのである。

で、この「悪口」はたいへん難しく、地元の人にしかできないものでもあるので、最近はほとんど聞かれなくて淋しい、と地元の人は言っていた。

さ て、せいと衆や太鼓の叩き手が「うたぐら」を歌い始めると、それについて「うたぐら」を歌う。うたぐらは「神歌」と呼ばれる神楽にはなくてはならない歌 で、基本的には短歌形式のもの。全国各地でそれぞれの歌い方があり、舞い手や太鼓の叩き手が祝詞のように歌うところが多いが「花祭」ではメロディーがつい ていて、これがすごくいいのである。

まず上の句の5-7-5の部分が歌われると、最後の5のところから歌い始めて下の句を歌い、下の句を繰り返して最後に「おーもーしーろ」というフレーズが付け足されることが多い。歌い方やメロディーが地区によって違うこともあり、覚えるのが難しい。

この晩もしばらく聞いてから、小声で参加、慣れてからはけっこう大きい声で歌った。うたぐらはいくつもあり紙に書いて張り出されているので、まだ覚えていない初心者は歌い出しの歌詞を聞いてどの歌なのかを探し出し、歌の文句を確認しながら歌う、という感じだろうか。

この日もあまりうたぐらを歌うせいと衆が多くなかったので、けっこうがんばった。歌い出したら僕だけ、みたいな時もあり、あせったが酔いも手伝ったので図々しくソロで歌った場面もあった。

ひとつの舞が1時間近くあるのでせいと衆も大変である。

舞 処から抜け出し、外の休憩場で休みながら酒を飲んでいたら、僕がうたぐらを歌っていたときにそれをリードしていた太鼓の叩き手の人が声をかけてくれて「つ いて歌ってくれてありがとう」と握手され、感激した。その人は別の地区の古戸というところの人で、「ヘルプ」で参加したようなのだが、きっと「布川は歌わ ないなあ」と思っていたのだろう、覚えてくれたのである。嬉しかった。

知り合いの御園のKさんからは資料をもらったり。ありがたかった。いつもすみません。

毎年来る斎藤吾朗画伯は日本人で唯一人、ルーブル美術館のモナリザを模写できるという人なのだが、柔和で優しい。会うのが楽しみな人である。

そんなこんないろんな顔見知りと挨拶をしたり、またまたしつこく酒を飲んだりしているうちに午前2時くらいとなったが、最初の鬼の舞が終わったあたりで、やはり人は減った。

た ぶん5時間くらいはやっていただろう「せいと衆」としては疲れたので、神座に上がって笛でも吹こうかと、そのへんに転がっている笛を手にしたらボランティ アのおねえちゃんに止められた。その時もまだボランティアサポーター、っちゅう若い人たちが神座に大勢いたけれど、座っているだけで笛を吹いているのが少 なかったから手伝おうと思ったのに。誰の笛かはわからないけど、おっさんが口を付けるのを気持ち悪いと思ったのだろうか。いつもは神座の笛は回し吹きなん だけどなあ…。

いじけているウチに寝てしまったらしく、気がついたら神座にあんだけいた若い連中がいなくなっていて、こんどはマジに笛の吹き手が足りない。

出番が来たと笛を吹き出したら急にお腹がすいてしまって、腹に力が入らなくて笛がちゃんと吹けない。誰のおにぎりかわからないけど、太鼓の横に食べ残しのおにぎりといなり寿司があったので失敬して食べてしまう。今度は怒られなかった。これが祭りさ。

そして食べながら笛を吹いたので時々ご飯つぶも飛ばしたりして。でも神座には三人くらいしかいないからこの時はだいじょうぶ。

結局最後まで、笛の吹けるお囃子の演目では吹き続けた。

なんか、名古屋の方の中学生の舞というのが差し込まれたりしたせいなどで進行が遅く、メインの「榊鬼」が出たのが朝の5時過ぎ。いつもより2時間以上押して10時近くに今年の祭りは終了した。

一足先にMさん宅に行ってこたつで少し寝て、あとから帰ってきた人たちと一緒に朝ご飯を食べて、まったりしていたら12時過ぎてしまった。今回が一番疲れたけれど、やっと「参加」することができて「せいと衆の初心者」になれた気がする。

なんか来年はもっと人が来そうな気がする布川の花祭。前半はMさん宅のこたつで過ごしそうな予感もするのである。

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名古屋大学の花祭りシンポジウムを聞いて考えたこと

「境地」という言葉の世界を教えてくれたのは、アイヌのシャーマン、青木愛子フチの聞き書き書『ウパシクマ』をまとめた長井博さんだ。
http://jushinsha.com/book/syakai/upasikuma.html

長井さんは78年頃、その当時の医学では治せない(わからない)と言われた病気をフチの自然医学(と呼べるもの)によって瀕死の状態から救われた人で、その後、フチが助産や治療の際に受けるというカムイからの「胸の知らせ」を、なんとか体系化できないものかと、韓国の四象医学や各国の伝承医学を研究し続けている人である。

今はやっているかわからないが、長井さんがだいぶ前にやっていたというワークショップは、草や、野菜などの食べ物をいろいろと口にしてみて「これは体のどこにどのように効くのか」ということを感覚的に理解できるようになろう、というものだったらしい。
そしてその時に「これを続けることで境地を得てもらいたいんです」と言っていたのである。その境地に達せば知識に加えて、理屈ではないフチに降りてくる「胸の知らせ」と同じような直感を感じられるということだ。
僕は長井さんの言うところの「境地」の説明をちゃんと理解しているのかどうかわからないが、そのコンセプトにとても影響を受けて、なるべく多くの神楽の祭り空間に身を置いているのも、それによって何か自分なりに「境地」が得られないものかと、模索を続けているからである。

さて、話は先日の名古屋大学の花祭りシンポジウムになるのだが、これは花祭りの存続に危機感を覚えた佐々木重洋教授が中心となって開かれたもので、学問が現場と繋がる非常に有意義で大事な企画である。
そういうシンポジウムなので今回のテーマは「花祭りの発展的継承を考える」ということで、現在、「御園花祭伝承活性化委員会」に身を置く自分として非常に興味をもって聴講しに行ったのであった。

パネリストの発表は研究者のものなので完全に「知の世界」である。一日目は今まで重要視されなかった民家に残る資料(この場合は宗教テクストと呼んでいた)をテーマにしていて、「花祭りが学問的に重要なものであるということを、宗教テクストによっても明らかに出来るではないか」という方向にあったと僕は捉えた。

それは知的好奇心をわくわくさせてくる内容のものではあったが、結局その貴重な宗教テクストを研究してその価値を明らかにすることが、どのように廃絶してしまいそうな祭りを存続させることとつながるのかということが、最後まではっきりしなかったのが物足りなかった。それでいろいろな発言を聞きながら「境地」ということを思い出し、言葉にしにくい感覚のことをまた考えるようになったのである。

僕はその土地、その土地の環境で如何に生き延びるか、自然の不条理を受け入れて覚悟を決め、その上で楽しみを見つけて暮らしていくかという生活の姿は、人々の個人的な、そして共同体としての「境地」がベースになっているのではないかと考えたのだ。よく僕は「ネイティブ感覚」という言葉を使うけれど、それと同じようなものかな。
「境地」はかつてはもっと「本能」だったし、「直感」だったのだろう。そしてその「境地」の中心にあったであろう土着の信仰心を裏付けてくれたり、今まで知らなかったコンセプトで固めてくれたり、また芸能によって楽しいものにしてくれたりしたのが、外から次々と入ってきたテクストを伴った宗教情報だったのでないだろうか。
そしてそれを神仏と共に年に一度確認するのが「神楽」であり、「祭り」なのではないかと思ったのだ。

だから里の人々にとっては新しい「知」は培ってきた「境地」をより豊かにしてくれるものとして貪欲に取り込んだはずである。
学問が大切であることは言うまでもない。でもこれからはテクストに出来ない「境地」も視野に入れていかないと、今回のシンポジウムのような高い志が現場に生かされないのではないかと思う。言うは易しであるが。

僕は学問の世界にはいないけれど、音楽家として大学で授業をしている。後期に一コマだけだけど、それでもやっているのは学生に神楽の現場のビデオを見せることが出来るし、実際に笛や鈴などの楽器を鳴らさせることが出来るし、なによりも中沢新一先生から「学生を神楽に連れてってやってよ」と言われているからである。

学生が民俗学とか宗教学の研究ではなく、祭り空間に身を置き、わけがわからなくても何かを感じ、何かが刺激されればそれはなんらかの「境地」への扉が開かれるのではないかと思っているのだ。

現代日本の都市生活は、言ってみればその「境地」が要らない、なくても生きていける仕組みになっているとも言える。だからゲームとかバーチャルの世界に浸っているのは「境地的感覚」を求めてのものかもしれない。そうだとすると、都市生活での「ネイティブ的な境地」をみんなで作っていけばいいのではないか。
「花祭り」はそのためにとてもピッタリの祭りである。「境地」を求める人を増やせば祭りも消えないと思う。

その役に立つかどうか、3月に東京で御園花祭のノンストップ映像記録をノンストップ上映する話が持ち上がっている。去年11月の祭りを撮影したビデオである。祭り空間の再現にはならないが20時間以上にはなるので、少なくとも時間の感覚はわかってもらえるだろう。
決まりしだい、お知らせします。

2月の神楽ビデオジョッキーのお知らせなど

「明けましておめでとうございます」は旧正月にご挨拶するつもりです。

そのせいではないですが、ブログ全然更新できず、反省しています。

正月は奥三河へ行って2日の古戸と3日の上黒川、徹夜の祭りをふたつ続けてみました。みっつ続けてみることも考えられましたが、体力や諸事情でふたつにしました。いずれ報告します。

今年最初のブログは神楽ビデオジョッキーのお知らせになります。

2月は今のところ4ヶ所を予定しています。

2月12日(土) @世田谷区・池尻「まんまるの木」

http://manmarunoki.com/

まだ、サイトに詳細は出ていませんが、14:00-16:30と17:30-20:00の二本立てになる予定です。

内容など確定したらまたお知らせします。太鼓叩いてのライブもあります。

2月18日(金) @大阪・玉造「風まかせ人まかせ」

http://www.fanto.org/kazemakase.html

毎度おなじみ、もっとも回数をやっている会場です。

いつものようにゆるゆるワイワイとやります。

19:00から 料金は1000円-1500円の間かな(笑)。

2月19日(土) @大阪・梅田「阪神百貨店」

なんと、デパート催事に進出です!!

まだ公式発表がないのですが、今のところ30分のVJを2本とミニライブを1本。

「ご当地グルメ甲子園」だったかな、全国の食べ物の催事で、会場をお祭りの時の神社の境内みたいな雰囲気にするということで、声がかかりました。

ありがたいことです。

これも詳細がわかりしだいお知らせします。もちろん無料。

2月25日(金) @東中野「ポレポレ坐」

2011年は4回シリーズで神楽ビデオジョッキー&ミニライブをします。

1回目としてあらためまして、

神楽入門「神楽の祭りとしての構造を各地の神楽映像を使って紹介するダイジェスト篇」

をご覧いただきます。

全国の神楽の映像を使って「神楽は何をやっているのか」「どのようになっているのか」ということを楽しみながらわかってもらいたいと思います。

以前もやっていますが、ファイルはアップデートしています。

大阪まで行くので名古屋とか、京都でもやりたかったところですが、21日にやはりポレポレ坐で伊勢大神楽の加藤菊太夫組の菊太夫親方に話しを聞くというトークイベントがあり、お手伝いで東京に戻ります。

聞き手は浅草雑芸団の上島敏昭さん。

これと25日の詳細は「ポレポレ坐」のサイトをチェックしてください。

近々アップされるはずです。

http://za.polepoletimes.jp/

そして加藤菊太夫組は23日に国立劇場の「国際民俗芸能フェスティバル」に出演、

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3870.html

翌24日には日枝神社で神楽を奉納する予定です。

そんなわけで、名京阪方面はまた4月にでもあらためてVJツアーに行きたいと思っているので、これからみなさんにお願いしますね。呼んでくれればもっと西へ西へと行くし、北へ北へも上がります。

よろしくお願いします。

アンド、今年の韓国・晋州仮面劇フェスティバルは5月27日(金)から29日(日)に決まりました。日本からの神楽などは現在交渉中です。

2008年12月15日のブログ 遠山・下栗の霜月祭り

13日から14日にかけての遠山霜月祭り、下栗地区のまつりに行ってきた。下栗は遠山の中でも急斜面の上の方にへばりつくようにある集落で「日本のチロル」と呼ばれたりしている。

僕も神楽を見に日本中の山深い集落をいろいろ訪ねたが、この傾斜にこの規模の集落があるのは初めて見た。マジ45度以上の斜面にも畑があるのだ。

でもここで取れる蕎麦は美味しくて有名だし、米がとれないから一年に二回作ったというジャガイモの「二度イモ」は小ぶりで味がいい。

http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/057.html

林道のような道をしばらく走って集落へ出るのだが、そのあとはつづれ織りの道がジグザグに上へ上へと延びている。

祭りの会場の拾五社大明神は集落に入ってわりとすぐにあるのだが、駐車場はなく、道路も狭いのでかなり上に車を停めなければならなかった。

http://www.mis.janis.or.jp/~shogachi/

遠山に入ってからまず「丸西屋」さんで蕎麦を食べてから気の出る神社に水のペットボトルを置くという恒例の流れで2時過ぎに下栗に入ったので、すでに神名帳などの神事は終わり、湯の舞いが始まっていた。

湯の舞は面を着けない神事的な舞なのでまだ観客は少ないが、それでもここの湯の舞は最初からけっこう盛り上がって楽しい。

他の地区では夜も更けてから湯の舞で騒ぎ始めるが、ここでは前半から観客参加の演目があるし、御幣で湯もはねたりするのだ。

しかし面が出るのは夜中過ぎなので、民宿に泊まっているふつうの観光客などはちょっと見てからいったん宿に戻って出直してくるようだ。

僕ら「伝承音楽研究所」の三人、別名「神楽三バカ」は神歌や唱えごとがちゃんと聞けるので前半の神事舞の方が好きである。

そしてここは演目と演目の間の休憩がけっこうある。宮元と呼ばれる祭主である長老がかっこよかったので、なんとなく近づいていったら話し好きの人でいろいろ話を聞かせてくれた。昔の厳しかった頃の生活のところでは今まで聞いたことのない表現を聞く。昔の人はあまりにも辛い暮らしなので「もう人間には生まれ変わりたくない」と言ったのだそうだ。そして何に生まれ変わりたいのかというと「一年という短さでもいいから植物になって一度花を咲かせたい」と。

長老は「わしらはそういう経験を乗り越えてきたけど、はたして今の若い人はこの不況を生きていけるのか、あと半年、厳しいよ」とも言っていた。

5時にいったん夕食となり、湯釜の周りの舞処に茣蓙を敷いて氏子一同が飯、味噌汁に焼きサンマ、漬け物、刺身などで食事をとる。この日は氏子が少ないということでその場にいた我々にもどうぞ、と声がかかり一緒にいただくことが出来た。

ここには11月の「フォーラム南信州」で知り合った地元の中学校の田中先生がいたので「甘えてもいいかな」という感じである。「丸西屋」で「もり二枚」というのを食べたので空腹ではなかったが、美味しくいただく。サンマは炭焼きだし、やかんから注がれる燗酒の御神酒もうまい。

そのあと演目が再開されるが、集落へ出て行くという部分で車で仮眠。御神酒もいただいていたので山道を上がって息が切れた。寝ていたら残りのメンバーも車に戻って来て全員でしばし眠る。

そして9時からまた神社へ戻ったが、ここの祭りはずっと立ちっぱなしで見なければならないので、ちょっと辛い。だんだん人が増えてきて動きもままならないので姿勢も固まる。ここは毎年12月13日と日程が決まっているが、今年はちょうど土曜日と重なったので例年以上に人が多いらしい。地元出身の人も多く帰ってきているようだ。

途中で田中先生が突然笛を差し出して「三上さんどうぞ」と。笛を吹けるのはうれしいけれど、ここの笛は難しい。変拍子なんてものでないくらい譜面に出来ないタイミングなのでしばし聞くだけ。音楽的に解釈すると混乱するばかりである。しばらくして、木沢地区でも使っているお囃子になったのでここから参加。このメロディーは拍子がきちんとしていて、僕の「SHIMOTSUKI」という曲でも引用しているので知っていたから吹けた。うれしい。

12時過ぎて面が出てくる時間になるとますます人も増えてきて身動き撮れず、ビデオも写真も撮りにくくなる。今回はただでさえ邪魔なでかいマイクを突き立ててビデオ撮るチームが二つあり、ろくな映像が撮れないと半ば諦めていたので、田中先生のいる小上がりみたいなところへ上がらせてもらって笛吹きをメインに、時々撮影という過ごし方に変更する。笛の吹けない伝承音楽研究所所員も笛を貸してもらったので上がってきたが、撮影がメインの副所長は過酷な条件の中でビデオを撮り続けていた。ごくろうさん。

しかし小上がりに上がれば上がったで上の方は煙も多く、目にしみてつらい。笛を吹くとこの煙がまた口に入ってくるのだ。

時々しゃがんで煙から避難する。

途中、外に出たときに薪の係の人に指示が出ていて「今は乾いたのを燃やして○○の時に生木を」などと言っているのが聞こえた。わざと生木を燃やして燻すんだな。

これは修験のトランス技法の名残に違いない。この列島のスウェットロッジである。インディアン不要。

もうすっかり酔いも醒めているが煙と眠気で朦朧とする。「ねむい、けむい、さむい」と共に「生まれ清まり、再生の儀式」である霜月祭りをたっぷりと体験した。

面を着けた若者が人の中にダイビングをする「四面(よおもて」や鼻高面が熱湯をまき散らす「湯切り」などで祭りは最高潮に達し、「よーーっせ!、よーーっせ!!」のかけ声で狭い神社の拝殿は興奮のるつぼとなり、3時過ぎに祭りは終了。

まだ真っ暗な中、我々はジグザグの道を降りていくのであった。

これで僕の訪ねた本祭の神楽は70回目となった。48ヶ所70回、そのうち夜通しの徹夜のまつりが37回。いつまで体力が持つかなあ。

2008年11月23日のブログ 足込花祭り

また今年も霜月神楽のシーズンとなり、第一弾として奥三河の花祭、足込(あしこめ)地区に行ってきた。

この日は月や坂宇場、河内という地区でもやっていて迷うところなのだが「なんとなく」足込にした。

飯田から南下、途中国道から県道に入って御園地区に山側から入る。ここに「茶禅一」という蕎麦屋があるのでここで蕎麦を食べたかったのだ。ここはもともとお茶の栽培をしていて「おもてや園」という店だったのだが、何年か前から息子さんが戻ってきて蕎麦屋も始めたのである。

http://www.omoteyaen.co.jp/

御園の花祭の中心メンバーとしても有名なお宅だが、御園の花祭の日は蕎麦屋は当然休みなので御園以外の祭りに来ないと食べられないのである。この日は連休ということで満席でしばし外で待つ。天気が良くて助かった。豊橋あたりから遊びに来る人が多いのだが、このあたりに美味しい蕎麦屋は少ないので人気になっているようだ。

自家栽培の蕎麦を使った田舎蕎麦を食べたあとに、御園から近い足込へ。

会場へいったら数人がいるだけ。外でやる神事が始まっちゃったかなと思って訊いてみたら、まだ山のお宮から神様が降りてこないという。

地元の人と少し話しをしていたら遠くから笛と太鼓の音が聞こえてきた。御神輿が降りてきたのである。御神輿を祭壇に安置してお宮の神事をしてからいよいよ花祭の神事。

まずは近くの川へ行って「瀧祭り」、それから会場近くで「辻固め」、裏山で「高嶺祭り」と外での神事が続く。

花祭は一部神道化した地区もあるが基本的には神仏混淆で、御幣を振って数珠を擦ってという神事なのだが、ここでは「六根清浄の大祓」をしたり「般若心経」を唱えたり仏教色が一段と強い。

会場の花宿に入ってからも「神入り」「天の祭り」「竃払い」「湯立」など神事が延々と続いて、舞いが始まったのは7時半頃。

この頃にはお客さんの数も増えてくる。

「市の舞」「地固め」、子供の舞の「花の舞」「山見鬼」「三ッ舞」「榊鬼」「ひのねぎ」「岩戸開き」「四ッ舞」「翁」「湯ばやし」「朝鬼」「獅子舞」と舞が続くが、ここはきっちりと演目が行われるので所要時間も長い。またマイクを使って神歌の「うたぐら」がちゃんと聞こえるようになっている。歌がわかるのはありがたいが、太鼓の音も拾ってしまい、音が割れて最初は聞き苦しかった。

でもだんだんこの「割れた音」も祭りの効果に感じてしまうから不思議なものだ。

そしてこのうたぐらは太鼓の叩き手が歌うのだが、その隣で花太夫や祢宜さんたちが別の神歌を歌っている時があり、これが混沌として面白かった。僕は祭りのこういう部分の二つ三つ同時進行の「祭り空間」がとても好きなのである。

明け方の一番寒い頃が「四ッ舞」だったが、これまでの花祭で一番寒さを感じた。車に戻れば着るものはあるのだが、その元気もなくブルブルという感じである。

「翁」が8時頃で「湯ばやし」が始まったのが9時過ぎ。そして1時間ほど激しい舞を舞うのだ。ここの「湯ばやし」は垂直ジャンプが印象的だった。この部分はちょっと遠山の霜月祭りの若者の舞「四面(よおもて)」にテイストが似ているな。

そしてグラグラに煮立った竃の湯をちょっと湯たぶさに付けて形式的にお祓いをしたあと、竃には水が入れられそのあとはしばし「思いっきり」湯がまき散らされる。ここは周りにいたらびしょびしょになる量だ。事前に靴を袋に入れてしまっておいて良かった。

ここは古い映像を見たときに「湯ばやし」で仮装をしていた人がいたので楽しみにしていたのだが、今は化粧になったようで顔にネコの鬚を書いたような人が10 人くらいいた。半分は中学生、高校生くらいの女の子たちで、大騒ぎしていたのが見ていて嬉しかった。そういえばここは正式の舞にも何人か女の子が舞っていたな。

きっちりと演目をやっているが「開かれて」来ている部分もあるのだ。

阿鼻叫喚、興奮のるつぼの「湯ばやし」のあと「朝鬼」が出て、「獅子」が出て11時過ぎに舞は終了。そのあとまた神事があって12時半頃、御神輿が軽トラックに乗って山のお宮へと帰って行った。

約24時間近くの祭りを体験したわけだが、町の中心部に近い月という地区の会場へ行ってみたらまだ祭りは続いていて、たぶん「四ッ舞」くらいではないだろうか。ここは30時間はやるので終わるのは夜である。

我々はハシゴする時間と元気がなかったので、通り過ぎただけで奥三河をあとにし、新野、伊那、高遠を通って買い物をしながら帰ったのであった。

2008年11月16日のブログ フォーラム南信州「祭の流儀」

飯田市美術博物館講堂で行われたフォーラムにパネリストとして参加。

主催者は実は飯田のシンガーを飯田から発信させるべくレーベルを立ち上げたという人で民俗芸能とはあまり縁がなかったのに、何故かこんなことにということらしい。

これをバックアップしているのが札幌で80年代にラジオディレクターとして一緒に仕事をした増淵敏之氏。いつのまにか地方文化論みたいなので法政大学の教授になってたんですな。

なんか僕の周りには占い師とか、いつの間にか変身するやつが多い。

で、僕が呼ばれたのは増淵氏直接ではなく、もともと別ルートのお祭りファンの縁がつながってのことなので、世の中何が起きるかわからない。まったく。

FM北海道でかつて一緒におバカな深夜放送「流星通信」を作っていた二人が長野県の飯田で一緒にシンポジウムに出たんだから。

さて、シンポジウムの前には遠山霜月祭りのある上村中学校の生徒による舞が披露される。

この中学校では「郷土の舞」を習うという取り組みが続けられてきて、実際の祭りでも子供たちが舞を舞うプログラムを特別に組み入れているのだが、この中学が今年度で廃校となりこれが最後の舞の披露になるというものだった。

女の子にも正式な演目の舞を舞わせているところが素晴らしい。

今の世の中、女の子も神楽を舞いたいと思うのは当然のことなのだが、女人禁制で舞えないところがほとんど。舞わせてもらえても「浦安の舞」という巫女舞のケースが多い。

この「浦安の舞」は皇紀2600 年を祝うために当時の宮内省の雅楽のおエラいさんが創作した巫女舞で、全国の神社に「これを練習して奉納するように」とのお達しが出たために、田舎の神社でもやっているところが多いが、実のところは土着の色濃い神楽には「似合わない」舞である。だって音楽はテープで雅楽をかけるんだもん。

さて、この「郷土の舞」の披露だが、上村には何カ所かで祭りが行われており、それぞれの舞を披露したものだから、当然お囃子も地区の人が交代して担当するわけで、その違いがよくわかるのだ。こんなことは後にも先にもこの日だけのことかもしれないというラッキーな出来事だった。

シンポジウム自体は発言者の持ち時間が短く消化不良ではあったが、ま、それはこういうシンポジウムにはよくあることなので仕方がない。これが第一回目なのでこれから実のあるものにしていけばいいだろう。

同じ発言者として参加した大鹿村の歌舞伎の師匠、片桐登さんにお会いできたことや、懇親会でお会いした坂部の冬祭りの長老、関さんや上村中学校の田中先生などにも会う事が出来て良かった。

で、懇親会でビールを飲んでいい気持ちになったところで「三上さんだけはあと一仕事」ということで神楽ビデオジョッキーを会場を変えて行った。7時半から10時くらいまで、酒も飲みながらの会だったが、部屋を暗くしたせいで寝る人も多かったな。

そんな中で大鹿歌舞伎の片桐師匠だけはシャキっとした姿勢で集中して見てくれていた。感激である。

翌日、「飯田エフエム」というコミュニティーFMとローカルFMの中間のようなラジオ局に呼ばれて少しお話。こういうところはパーソナリティーが祭りのことを知らずにトンチンカンで「一から」説明しなければならないケースが多いのだが、ここではシンポジウムの司会もして、自らも民俗芸能を見て歩いているという人がお相手だったので、話しが弾んだ。

めったにないな、こういうことは。

そして同行のかーすが君と一路遠山へ車を走らせる。遠山中毒の僕たちは飯田まで来たら遠山に寄らずには帰れないのである。

スーパーでミネラルウォーターを大量に仕入れ、いつもの神社の境内に並べてからいつもの蕎麦店「丸西屋」さんへ。月曜は意外と忙しいらしく、満席で蕎麦を待つこと一時間以上。

飯田から電話してとっておいてもらわなかったら蕎麦がなくなっているところだった。なんとか玄蕎麦のもりを一枚ずつゲット。そして天ぷら盛り合わせに大黒屋の豆腐の冷や奴に二度芋の田楽。冷や奴はおかみさん特製のタレが旨い。いろんな香味野菜が醤油につけ込んである。二度芋はジャガイモなんだけど、このあたりは米がとれないので一年に二度収穫するという芋で、小ぶりで日本に入ってきた頃の古い種類だとか。

で、蕎麦が最後だから手持ちぶさたで「てんから」を飲んでしまったではないか。ごめん、運転のかーすが君!!

「てんから」、旨い。

僕の顔を見たおかみさんが「新聞に載っていたから見せようと思ってとっておいたに」と神楽ビデオジョッキーの告知記事が載った「信州日報」を出してきてくれた。おお、たしかに載っている。すんげえローカル誌でなんか感激。一ヶ所神楽が神学と間違っていた。ひょっとしたら記者は「しんがく」で変換したのかもな。

さて、丸西屋さんを出たのが3時半、いつもの温泉「かぐらの湯」を出たのが4時半。気が移った水を回収して遠山を出たのが5時頃だった。

神楽ビデオジョッキーの解説 @みんたる

神楽のかんたんな解説          @みんたる 2010.11.05

神楽(かぐら)は民俗学で分類されている芸能のひとつで、世界に類を見ない数の多さと多様な姿で存在している日本の神事芸能、民俗芸能である。都市部ではいま、祭りというと神輿や山車のイメージを持つ人が多いと思うが、全国には実にさまざまな形で祭りが行われている。そして神楽はその基本的な存在として、例えば宮崎県だけでも三百以上あり、全国ではその数は三千とも五千とも言われているのである。

現在行われている神楽は「五穀豊穣の祈願や感謝」を目的としているという説明が多いが、神楽の語源は神が降りてくる依代(よりしろ)を神座「かみくら」と呼び、それが「かむくら」「かぐら」と変化したというのが定説になっていて、かつては神懸かりして「神託」を受けることが祭り-神楽の大きな目的だった。

各地に残る神楽は中世に起源を求めるものが少なくないが、ほとんどの神楽が今の形に落ち着いたのは江戸時代以降だと考えられている。その形を簡単に言うと「神を迎える祭場を作り」「祭場を浄め」「神を招き」「神を慰撫し」「神と共に飲食をし」「神託をもらい」「神を送り返す」というのが基本的なプロセスになっている。しかし、これにつながる祭祀は太古から行われていて、神を招いて歌い踊ったシャーマニスティックな「神遊び」や、太陽の復活に魂の再生を重ねて祈った「冬至まつり」、神道の「鎮魂祭」などに、各時代に渡来した宗教の祭祀文化の「おまじない」や、地域それぞれの個性が混ざり合って、百花繚乱の様相を見せているのが現在の神楽なのである。

冬至は太陽が一年で一番弱まる日で、再び日が長くなっていくのだが、古代の人はこれに魂や生命力の再生をなぞらえた冬至まつりをしていて「霜月祭り」と呼ぶようになった。そして現在も冬場にはこの霜月祭り系の神楽が各地で行われていて、11月からがそのシーズンになるのである。

特に中国地方や九州、そして三信遠の山間部に残る祭りは寒さをものともせずに夜を徹して行われるものが多く、神仏混淆など古い形が残っているのだが、特に注目すべきは「山の神」の存在で、「鬼神」「荒神」とも呼ばれるが、神楽で招く土地の氏神の他に「来訪神」として「山の神」が登場する神楽が多い。そして「自分の許可を受けずに祭りをするとは何ごとか」と文句を付け、問答になるものも多い。この問答は「神懸かり」の際にどんな神が降りてきたのか確認する必要があり、審神者(さにわ)がその役割をするのだが、その名残とも言われている。そして能楽での山伏などの宗教者と亡霊の関係も、この問答が元だという説もある。

そしてこれらの神はほとんどが憤怒の形相を見せる鬼神面なのだ。この列島に生きてきた人たちにとって「鬼」と「神」が同居していて、この二面性はまさに自然と人間の関係である。自然は人間が生きていくための食糧や生活道具の材料をもたらしてくれる「豊かな自然」であり、時に嵐や洪水、飢饉、疫病などをもたらす「残酷な自然」でもある。鬼神をもてなし和解するのは、自然にはかなわないという前提の元に生きる人々の自然との関係を確認するものと考えてもいいだろう。どの祭りもそれぞれの土地で生きるための知恵や覚悟をベースにした強い信仰心による祈りが中心となっていて、それを芸能によって明るく、時にははじけて愉しめる祝祭になっているのである。

アニミズム、シャーマニズムを背景にした呪術的なこの文化は世界中のネイティブカルチャーに共通するものであり、先進国といわれる国のあるこの列島に残っていることは驚くべきことなのだが、まずはこれが滅びなかったことに感謝したい。それほど神楽に携わる人々のの信仰心は篤いのである。

しかし現実にはその伝承は厳しいものになっている。ぜひ、神楽に出会うことにより、現地の人々と、そしてこれまで伝えてきた先人たちと、時空を超えて繋がってほしいと願っています。

三上敏視

11月13日に御園花祭見学ツアーを企画しました

今年は夏に「隠岐島前神楽ツアー」、「早池峰神楽ツアー」を企画して、無事に終了。参加した方からはご好評をいただきました。

引き続き名古屋の海外移住旅行社がツアーを企画していきますが、次回は「奥三河花祭」御園地区の神楽を見に行くツアーを企画しました。

花祭は現在15ヶ所ほどで行われており、11月からスタートします。どこも土日と休前日から休日にかけての夜通しか、昼間に行われるので、お勤めの人に都合がつきやすく、アクセスも東京、大阪、名古屋の三大都市から比較的行きやすいのでおすすめです。

しかし今は土日は高速道路が1000円に割引きになる日なので大きな渋滞が予想され、車で行く場合にかなり時間がかかります。

普通でも東名利用の場合、東京から豊川インターまで3時間以上かかり、御園までなら5時間を考えなくてはならないので、これに渋滞で2時間プラスとなると7時間になってしまいます。

このツアーは名古屋発で、豊橋でも乗車可能ですから東京方面からは新幹線で豊橋まで来て、ツアーバスに乗るというのが確実でラクチンです。

飯田線という選択肢もありますが、本数が少ないし、東栄駅から御園まで行くのがまた大変です。昔の人は歩いたわけですが、現代の感覚だとすごーーーく時間がかかります。

そしてなんといっても花祭は御神酒をいただき、朝まで楽しむ神楽ですからバス利用なら運転しないでいいので遠慮せず飲めるのもいいですね。

また御園花祭保存会のご厚意で、専用の仮眠室を用意してもらうことが出来ましたから、眠たくなったときの寝場所も確保。これは他の地区ではほとんど考えられない待遇です。お囃子を聞きながらウトウトするというのもまたいいものですよ。

ですから「ずっと起きている自信はないけどどこで寝られるのだろう」と心配している方でも安心です。

そして花祭は湯立神楽なので、薪で湯釜を焚きますし、外で暖を取るのも焚き火ですから一晩いるとかなり煙を浴びます。ですから帰りに1時間、温泉に入るという予定も組んでいますから、サッパリとして帰ることも出来るという、かなりベストに近い花祭ツアーだと思います。

詳細は以下のリンクからどうぞ。

http://www.kir.co.jp/osusume/fixtour/post-15.html

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text & photo ⓒ Toshimi Mikami