2009年09月22日のブログ 韓国伝統演戯祝祭五日目

20日、いつもより遅く起きたのだが酒が残っている。前の晩、ひとりで焼酎を一本半飲んだ。といっても330mlとかだからせいぜい合わせても 500mlか。度数は20度ちょっとだから、そんなに飲んではいないのだが、それまで6度のマッコリを一合くらい飲んでいただけなので、体がビックリした のかもしれない。それと、毎日眠くて眠くて体調もすぐれなかったからなあ。

前の日に再会した晋州のチョン・ビュンフンさんとお昼を食べることになっていたので、昼過ぎにチョンさんが宿に来てくれた。

ミョンウンちゃんと一緒にタクシーで麻浦へ行き、今回初めての「外食」だ。タクシーの運ちゃんの勧めで入ったのが焼き肉屋で、しかも牛肉。僕はもう10回くらい韓国に来ていて。延べ50日くらいはいたと思うが、なぜか牛の焼き肉を食べるのはこれが三回目である。

モモの角切りみたいなのを網で焼くメニューが出てきて、ビールで乾杯。迎え酒になってしまった。でも旨い。博物館の食堂には酒がないからこれもうれしい。生ニンニクを食べるのも6日目にして初めて。こんなの今までなかったし、やっと韓国に来た感じだ。

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一ヶ月分の肉を食べた感じで店を後にし、博物館へ。今日は審査がないので気が楽。2時からの伊勢大神楽の公演を見る。今度は普通の劇場のステージなので伊勢大神楽の雰囲気には合わない。

でも、この時のは子どもが多く見ていて反応が良く、思ったよりも雰囲気が良くなってホッとした。

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このあと、カフェテリアで食事をしている大神楽のメンバーと合流してご飯を食べたのだが、彼らはなんとマッコリを持ち込んで飲んでいた。僕ももちろん一緒にいただく。

食事も終わり頃になって、スタッフが「ここではお酒は禁止です」と言いに来たのだが、もう宴も終わりかけだったので、ぜんぜん平気。お客さんも少なかったし、ひょっとしたらしばらく見逃してくれてたのかもしれない。

7時から閉会式。僕が審査したコンペの発表がメインだ。1位一組、2位二組、3位二組の五組にはすでに入賞が伝えられていて、五組は衣装を着て、張り切って待機している。

まずはこの五組が呼び出されてステージへ。3位から発表されたのだが、名前を呼ばれて一応喜んではいたが、内心はガッカリしたことだろう。二位の一組が発表になった後、残るは一位と二位のもうひとつということになる。

ここで二位を飛ばして一位の発表。賞金2500万ウォンを獲得したのは「Mr.チュンヒャン」で、僕も最高点を付けたから異論はないが、もうひとつの二位も同点で、好みでいうと二位の方だったからちょっと内心複雑である。

五組がそれぞれパフォーマンスのダイジェストを披露した後に、全員で群舞。伝統がベースにあるので、ひとつになるのは簡単なことだ。

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最後は観客を巻き込んでの大乱舞、カチャーシー状態になったので花飾りを胸に付けた外国人審査員としてもここは参加して盛り上げねばと、カメラを置いて踊りの輪の中に。

5日間の『伝統演戯祝祭』はインフルエンザ騒ぎで主催者の予想よりは人出が少なかったようだが、大成功のうちに幕を閉じた。

そのあとはスタッフとゲストだけの打ち上げ。裏庭にケータリングで料理が並べられ、ミニステージまである立派なもの。でも外なのでスポットライトがいくつか あるだけの暗い会場だ。刺身とか、寿司とかあって、日本みたい。懐かしくてつい手が出る。でも、ワサビがなくておろし生姜だけだった。そしてやはりここでも酒は出なかった。ミネラルウォーターのボトルに焼酎を入れておけばよかったな。

そしてイルボンチームは9時半頃に打ち上げを辞して宿へ。

2009年09月21日のブログ 韓国伝統演戯祝祭四日目

19日。いつもと同じように会場に昼頃着き、昼食。この日は中国の恩敏華先生と一緒にカフェテリアに入り、テンジャンチゲを食べる。そろそろ何か変 わったものが食べたくなってきたが。食後はミョンウンちゃんと評価のコメントの韓国訳がうまく出来ているかチェック。なかなかうまく言いたいことが伝わらずに苦労する。

1時から伊勢大神楽の公演。博物館の建物と建物の間が広場になっていて、大きな階段もある。ここの野外ステージがこの日の舞台だ。プラスチックの椅子が並べられた客席は舞台から離れているので、ちょっとやりつらいだろう。広い舞台に小さく見えてしまうが、ロックコン サートのように後ろのスクリーンにカメラ数台で撮られた舞台の様子が大きく映し出されるので、観客にはいろんな角度から見られてありがたい。

いい席がすでに取られてしまっていたので、2列目に座ってビデオを撮る。この時のためにだけ三脚を持ってきたようなものだ。でも、2時から審査なので終わるまでいられなくて最後の「魁曲が見られず残念。

お客さんはたくさん集まってきて、かなり受けていた。韓国の人はほんとうに素直に見て、喜ぶ。

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2時からの審査の後、伊勢大神楽がやったステージへ。晋州仮面劇フェスティバルのメンバーが来ていて「晋州五広大」の公演をしているのだ。2時半から1時間 の公演なので後半しか見られなかったのだが、ステージの後ろに出番を待ったり終わったりのメンバーが座っていたので、そこに混ざってひとしきり再会を喜び 合う。

さすがに晋州の連中は仮面劇がなんたるかを知っているので、お客さんを舞台に上げてステージ上を広場でお客さんに取り囲まれるようなやり方で公演していた。やるなあ。

伊勢大神楽もそうしたら彼らはやりやすかっただろう。

そのあと上海から来た人形劇を見に別のステージへ。たった一人で人形を操り、太鼓や鉦を叩き、語って歌うという芸能で面白かった。古い文化の残っている島から来たそうで、その島には近々橋が造られ本土とつながるので、古い文化も消えてしまうだろうと翁先生が心配していた。

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そして5時から二つ目の審査の作品を見て、夕食。そして審査員のミーティング。まだあとひとつ見る作品が残っているのに、と思ったが、全部終わってからだと帰るのが遅くなるので事務的なことが中心だった。

9 つ目を見終わってから点数をチェックして、少し手直しして提出。最初は7名の点数を単純に足して順位を出していたが、オリンピックのジャッジのように最高 点と最低点をカットして、残りの5つの点数を足そうということになった。上位二つの作品は僕の評価も一番高かった作品で、同点にしておいたのでどちらでも 良かった、というところだ。僕の点でカットされたのはひとつだけだったので、まあまあみなさんと意見が合ったということで、少し安心する。

セイモくんは街に遊びに出ていたので、ひとり打ち上げということで今回初めて焼酎を飲む。

2009年09月19日のブログ 韓国伝統演戯祝祭三日目

18日、ホテルの朝食はコーヒーを飲みに行くだけのことが多いが、この宿のバイキングは砂糖入りのものしか出てこない。最近巷で食堂に置くのが流行っているタイプの簡単なベンダーだ。この日も果物と甘いコーヒーで我慢。

11時に宿を出る。博物館についてからすることはまず昼食。この日は博物館の中で一番の高級店へはいる。12時過ぎると込みそうなので早めに行ったのである。

でもメニューの種類はそんなに多くなくて、海鮮パジョンを選択。10000ウォンは800円くらいか。日本よりは安いが韓国では高い方だ。

そ して審査会場の劇場ロビーにある売店でコーヒーを買う。薄い。最近はソウルでもスタバやスタバみたいなカフェが流行っているが、博物館の中のカフェは「アメリカーノ」と「カプチーノ」の2種類。中間がない。それでもブラックで飲めるので買い求め、タンブラーに入れ直して劇場の中でも隠れて飲めるようにする。

日本から連絡がないので、伊勢大神楽・加藤菊太夫組の人たちは無事に出国できたのだろうと安心する。今回は大きな「長持」と刃はついていないが剣を何本も持ち込むので心配だった。

1時から一回目の審査。ジャンルとしては創作仮面劇か。権力者風刺の基本を守りつつ、新しいストーリーを作っていた。歌って踊って芝居が出来ては当たり前だが、歌はパンソリだし、踊りはナムサダンだし、韓国の必修科目はむずかしいのにみんなよくやっている。

日本だったら狂言のひとつも出来なければ役者とは言えないという感じだろうか。

次の審査までの間は韓国の友人との面会時間。4月の金梅子さん公演の時も来てくれた、魂の兄弟のひとり、チェ・ソンヒョン一家が自給自足の田舎から赤ちゃんを見せに来てくれた。

お茶を飲みながら家族の話や神楽の話など、のんびりとする。会いに来てくれる友達がいるのはとても嬉しいことだ。

2回目の審査に行く途中で会場に着いた伊勢大神楽のメンバーに会う。

無事に着いて良かった。金梅子さんの時に大活躍のソウ・クムシルちゃんが出迎え通訳で、ここでも活躍していて嬉しい。

で、2つ目の作品は演劇寄りのパフォーマンスだが、当然のことながら伝統舞踊を元にしたダンスがこれに加わる。ここではダンサーが精霊として踊り、ストーリー進行の重要な役目をしていた。地味な作品だが、大騒ぎのものが多い中でかえって印象に残る。

終わった後、出店テントの食堂で菊太夫組と合流ピビンパとピンデトクなどを食べていたが、この場所ではマッコリを売っていない。ミョウウンちゃんと、ちょっと離れているが別の出店までマッコリを買いに行き、差し入れる。

そして彼らと別れてまた8時から審査。結局、韓国だと「クッ」と「仮面劇」と「ナムサダン」あたりが民俗のベースになるので、どのグループにもこの要素があり「またか」という感じもある。

この夜はタクシーに恵まれ、10時前に宿に到着。またピンデトクとマッコリで一人打ち上げをしてシャワーを浴びる。

今夜から伊勢大神楽のセイモくんと相部屋になるが、明洞の方に遊びに行っていた彼もわりと早く帰ってきたので、健康的に就寝。

2009年09月18日のブログ 韓国伝統演戯祝祭二日目

17日は11:30にピックアップしてもらいタクシーで会場へ。

まずは昼飯。

博物館内のカフェテリア形式のレストランへ行くが、メニューに「スパゲティー・ミートソース」とか「トンカツ」とか「カレーライス」とか「そば」があり、なんか日本みたい。「ピビンパ」があったのでそれにする。付き添い通訳のミョンウンちゃんは冷やしかけそばみたいなそば。氷が入っていてほんとに冷たそうで ある。韓国では冷やすときは冷やす。前日に食べたピビンネンミョンに付いてきたスープはシャーベットみたいだった。

で、出てきたピビンパはモヤシが二種類、レタスにキャベツなどほとんど生野菜でサラダのようだ。ご飯に載せてくればいいのにご飯は別、コチュジャンも別。

味は予想より旨い。こりゃナムル作らないでもいいので楽と言えば楽である。

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そして審査の一回目。「天開」というタイトルのダンスで、テーマがちょっと難解。音楽でいい部分があって刺激になった。総じて韓国のこういう表現に使う音楽は低音が独特のものに感じる。照明が暗いので眠りそうになってたいへんだったが。

で、2時に終了したあと次の審査が7時! 5時間も時間をつぶさなくてはならない。宿に戻りたいところだが、往復で1時間かかるしネット環境がよくないので、これも出来ない。

結局、前日と同じカフェで1時間ほどネットをして、会場内の「昔の再現ゾーン」を冷やかしに。

昔の扮装にメイクをした劇団員アルバイトみたいな連中がすぐに寄ってきてあちこち誘われる。なんかを教えるぞ、みたいなコーナーでお兄さんに言葉を教わったり、「家訓」のコーナーでおじさんに無料で「来福萬笑門」と墨で書いてもらったりした。

昔の役人が庶民を連れてきて拷問をするコーナーもあった。

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それから、別のテント村へ行ったらなんと「ピンデトク」があるではないか。

おやつに「ピンデトク」を食べてまったりと。ここにはマッコリはなかった。

ミョンウンちゃんといろいろ話す。彼女は日本語の研究で日本の大学院に進みたいという大学4年生。今回、ボランティアとして「どうしてもやりたかった」らしく、とても熱心に付き添いをしてくれている。こんなのはじめて。

で、なんとか時間をつぶして7時からの審査。昼と同じ劇場で他の審査員と並んで座る。

かなり前評判が高いようで、観客も多い。

恋人がいない時に権力者に言い寄られる絶世の美女チュンヒャンという韓国で有名な女性の話をモデルに、これを彼氏がチュンヒャンになりすまして権力者の所へ 行くという筋立てに変えた「Mr.チュンヒャン」という、これもダンスがメインのパフォーマンス。狂言回しや映像も使って、かなりレベルの高いもので客の 反応も良かった。

ブレイクダンスと伝統舞踊が違和感なく一緒に出来るところなんか、なかなかである。

終わってすぐに三つ目の審査会場である、外の会場へ。開会式をした大きなステージである。

こんどは、韓国人の文化はこういうものだと民衆パワーを表現したパッケージショウみたいなパフォーマンスで、出演者の数もすごく多い。クッをベースにした部分が多く、音楽は伝統ものだけ、というのもこだわりを感じた。

最後は観客もステージに上げる演出で、一番前で審査をしていた僕たちも連れ出され、審査員なのに参加してしまった。

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そして、疲れたので終わったら即宿に戻った。おやつにピンデトクを食べたので夕食をパスしたので、またピンデトクをテイクアウト用に買ってきてもらい、部屋でマッコリとピンデトクというベストな組み合わせを楽しんで、寝た。

2009年9月17日のブログ 韓国伝統演戯祝祭@ソウル1日目

16日、付き添い通訳のイ・ミョンウンちゃんが宿に迎えに来てくれてタクシーで国立博物館へ。

初日は11時から「別神クッ」が東海岸から来てイベントの成功を祈祷するセレモニーがあった。ベテランらしきムーダンが2人くらいと若手が5人、そして奏楽の男たち6人。

たっぷりと舞って歌って、ラップのように語って、イベントの成功や人々の健康、世界平和などを祈祷したらしい。僕の名前もその中で読み上げられた。ありがたいことである。

途中、リーダー格のムーダンが歌っているときに後ろの物陰から、一緒に歌って振りを真似して勉強している若手の姿が見えた。こういうシーンを見るとうれしい。

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あっ という間の1時間の「クッ」が終わり、昼食は会場内に作られた「昔の暮らし再現ゾーン」の中の食堂で、クッパを食す。中国から来た審査員の翁先生とその通 訳ボランティアと四人なので、昼からマッコリも。翁先生は去年の晋州でもお会いした上海師範大学の教授。日本語を話すので申し訳ないが、助かる。女性なの でちゃんとチャイナドレスを着ていた。

この「再現ゾーン」は村の様子が再現されていて、バイトの若者たちがあたかも昔の装束で生活しているようにふるまっていて、ドラマのセットのようだ。

また通路には伝統工芸のワークショップをするテントなどが並ぶ。そしてそのテントには古い民家の外観がプリントされているところが芸が細かい。

韓国はこういうイベントのやり方のセンスがいいなあ。

物販や食堂などの料金はここで使う「ゾーン通貨」である昔のお金「ヤン(両)」に両替して使うのだが、そのための古銭のレプリカも作っているのだ。

http://www.livexseoul.com/bbs/view.htm?b_id=8&seq=244

1時からはそのゾーンの中で、ナムサダンの芸のひとつ、綱渡りを見る。若手だったがかなりの技量で感心した。

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審査員の会議までの時間にネットするところを探して、博物館内のカフェにたどり着く。ありがたいことに無線LANのパスワードを教えてくれたのだ。

これで、しばし本の編集最終段階のやりとりをする。こちらも綱渡り作業だ。

そ の後、審査員とVIPのお茶会というものがあり、自分の名札のある席に着いたのだが、司会進行というものはなく、結局これはその後の開会セレモニーに揃っ て入場するための集合場所というようなことだったらしい。何人かと名刺交換。一番のVIPの文化観光体育局の大臣と挨拶をした。

開会セレモニーは、和太鼓グループみたいな韓国太鼓グループの演奏から始まったが、リズム感覚が違うので、印象が和太鼓とかなり違う。迫力過剰という点では同じだが。

大臣の挨拶のあと「アリラン」の特集。どうやらアリランには四種類あって、それをすべて披露してくれるらしい。

昔の生活ぶりを再現したり、今風のアレンジをしたり、いくつかのグループが出てきてアリランを様々な見せ方で披露してくれ、どうもかなりのその世界の国民的歌手が歌っていたようだ。

これをVIPとして一番前の席で見ることが出来、ありがたいことだった。テープの残り時間が少なかったが、ビデオも取りやすかったし。

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宿に帰って、寝不足だったのでマッコリをちょっと飲んで就寝。なんと今回はまだ焼酎を飲んでいない。ひょっとしたらあと二日くらいはマッコリだけかも。

下の写真は夜のテント

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2009年5月30日のブログ 晋州仮面劇フェスティバル二日目

例年だと前の晩にたくさん飲んでしまい朝食をパスすることが多かったが、最近酒量が減っているのでなんとか起きられる。

歩いて2,3分のところにある食堂が今年の朝食の場所で、汁ものの店である。この日は豆腐の汁で絹ごしの食感の豆腐がたくさん入っていて、辛くないので神楽の人たちにも好評。

8年前は朝食の時から焼酎を飲んでいたなあ、と思い出す。

11 時から日韓中の三カ国が「獅子舞」についていろいろ報告をするシンポジウム。まずは石鳩岡神楽の権現舞を舞台で軽く披露。そのあと東京から来てもらった井 上隆弘先生が報告をする。中国、韓国は獅子舞の歴史を報告していたが、井上先生は日本列島土着の動物霊の死霊祭儀と渡来の獅子舞という観点で、かなり深い 内容の報告をしてくれた。

僕は井上先生の後に、少しだけ獅子舞の多様な姿を紹介。本当は「討論者」として井上先生の報告に対して質問をしたりする役割なのだが、学者じゃないし、獅子舞は詳しくないので質問はナシにした。

博物館の食堂でのビビンバの昼食をはさんで、庭で中国と韓国の獅子舞の披露。上海から来た中国のは信仰性はなしでただ派手なだけ。中国人の好みもあるが、国の事情で信仰面での「復元」は難しいようだ。

16時にシンポジウムが終わり、宿へ戻って9月の伊勢大神楽ソウル公演の打ち合わせをしてから、仮面劇フェスティバルの会場へかけつける。神楽の出番は18時である。

実は今回、石鳩岡神楽理のメンバーが一人急に来ることが出来なくなって、演目の関係から僕も手伝うことになったのである。何をするかというと「岩戸開き」の演目の天照大神の役なんだけど、ほとんどの神楽で岩戸開きのアマテラスはじっとして動かないので誰でも出来ると言えば出来る役なのである。

衣装を着させてもらって、スタンバイ。早池峰神楽は舞台の後ろに幕を張り、そこから出入りをするのだが天照大神はその幕の後ろに座り、岩戸が開いたということで幕を上げて姿を現すのである。

「あまり上を向かないよう」と面を下げられてしまったので地面しか見えず、舞の様子が全然見えなかったのが残念。終わった後みんなから「拝ませてもらいました(笑)」とからかわれた。

無事に神楽が終わり、毎年夕食の場所になっている近くのコムタンの店でビール&焼酎で乾杯。

そして早めに宿へ戻ったのだが、スタッフが一軒飲みに行きましょう、ということで連れて行ってくれたのが僕の大好きなピョンヤンピンデトックの店。神楽の人たちがすっかり気に入ってしまったマッコリとともに一年ぶりに食べることが出来た。。

部屋に戻って直会。石鳩岡神楽では権現舞で神様に捧げた御神酒をその夜にいただくというしきたりがあるのだ。太鼓の上に権現さまを安置して御神酒を供え、お参りをしてから飲むのである。実に真面目に酒を飲むというわけ。

2009年3月8日のブログ 布川の花祭

10年前から通っている布川の花祭に行って来た。行かなかった年は2004年だけなので9回目だ。

やみつきになって毎年通ってくるこういう人間は「花狂い」と呼ばれる。

この一帯で行われている花祭は冬至祭りの意味を持つ霜月祭りの湯立神楽なので多くの地区では11月とか正月に行うところが多いのだが、この布川地区だけ3月の第一土日に日程を変えていて、真冬より暖かいため、大きさのわりにはけっこう人が集まってきて、今年は僕が見た9回の中でももっとも人出が多かったかも知れない。

でも、来ている人は「花狂い」ではなく、「一度は見てみよう」と思って来る人がほとんどで、特に最近はリタイアした年代の「奥さん」グループが目立つ。ようするに「おばさん」が多い。

だって、夕方の湯立の神事あたりはあまり見る人がいないのだが、神事が終わる頃に現地に着いたら、もう座って見るエリアの半分はおばさんたちによって占められていた。

でも、このおばさんたちは朝までいることはなく、夜中の山場、子供たちによる「花の舞」や鬼が出てくる「山見鬼」を見たあたりで帰って行くから、そのあとは地元の人や「花狂い」が落ち着いて楽しめるかんじだ。

神 事が終わって舞いが始まるまでに休憩があり、祭りの関係者は夕食を取る。一昨年から僕は会場のそばにあるMさんのお宅にお邪魔して夕ご飯と朝ご飯をいただ くようになっているので、今年もお邪魔にしてごちそうになった。Mさんのお兄さんや同級生とかと一緒に話しに花が咲き、舞いが始まる時間になっても会場に 行かなくて、WBCの野球も見ないでいろんな話しをした。結局会場にいったのは8時半頃だっただろうか。

僕は何年か前から神座(か んざ)という、花太夫さんが太鼓を叩き、お囃子の人が上がる結界の中で笛を吹かせてもらっているが、去年からボランティアサポーターが大勢神座に上がって 笛を吹くようになったので、今年からは舞を舞う「舞処(まいど)」に降りて「せいと衆(祭りに参加する観客)」をやろうと思っていたので、9回目にして初 めて舞処に降りた。

それまではよそ者だし、ビデオも取りたいし、ということがあって、舞処へ降りることはほとんどなかったのだが、 ここ数年写真を撮るカメラマニアばかりが取り囲む舞処になっていて「うたぐら」を歌うせいと衆も少なくなっていたから、ひとつうたぐらに挑戦しようと決め ていたのである。

ちょいと上がり込んで隅っこに荷物を置き、すぐに舞処に降りて「せいと衆」となる。酒が入っていい気分になった 「せいと衆」は舞い子の邪魔にならないように取り囲み「テーホヘテホヘ」とか歌を歌ったり、かつては舞い子を励ましたり冷やかしたり、この時だけは許され るという悪口を行ったり、別名「悪態まつり」と言われたほど、祭りを盛り上げる重要な役目なのである。

で、この「悪口」はたいへん難しく、地元の人にしかできないものでもあるので、最近はほとんど聞かれなくて淋しい、と地元の人は言っていた。

さ て、せいと衆や太鼓の叩き手が「うたぐら」を歌い始めると、それについて「うたぐら」を歌う。うたぐらは「神歌」と呼ばれる神楽にはなくてはならない歌 で、基本的には短歌形式のもの。全国各地でそれぞれの歌い方があり、舞い手や太鼓の叩き手が祝詞のように歌うところが多いが「花祭」ではメロディーがつい ていて、これがすごくいいのである。

まず上の句の5-7-5の部分が歌われると、最後の5のところから歌い始めて下の句を歌い、下の句を繰り返して最後に「おーもーしーろ」というフレーズが付け足されることが多い。歌い方やメロディーが地区によって違うこともあり、覚えるのが難しい。

この晩もしばらく聞いてから、小声で参加、慣れてからはけっこう大きい声で歌った。うたぐらはいくつもあり紙に書いて張り出されているので、まだ覚えていない初心者は歌い出しの歌詞を聞いてどの歌なのかを探し出し、歌の文句を確認しながら歌う、という感じだろうか。

この日もあまりうたぐらを歌うせいと衆が多くなかったので、けっこうがんばった。歌い出したら僕だけ、みたいな時もあり、あせったが酔いも手伝ったので図々しくソロで歌った場面もあった。

ひとつの舞が1時間近くあるのでせいと衆も大変である。

舞 処から抜け出し、外の休憩場で休みながら酒を飲んでいたら、僕がうたぐらを歌っていたときにそれをリードしていた太鼓の叩き手の人が声をかけてくれて「つ いて歌ってくれてありがとう」と握手され、感激した。その人は別の地区の古戸というところの人で、「ヘルプ」で参加したようなのだが、きっと「布川は歌わ ないなあ」と思っていたのだろう、覚えてくれたのである。嬉しかった。

知り合いの御園のKさんからは資料をもらったり。ありがたかった。いつもすみません。

毎年来る斎藤吾朗画伯は日本人で唯一人、ルーブル美術館のモナリザを模写できるという人なのだが、柔和で優しい。会うのが楽しみな人である。

そんなこんないろんな顔見知りと挨拶をしたり、またまたしつこく酒を飲んだりしているうちに午前2時くらいとなったが、最初の鬼の舞が終わったあたりで、やはり人は減った。

た ぶん5時間くらいはやっていただろう「せいと衆」としては疲れたので、神座に上がって笛でも吹こうかと、そのへんに転がっている笛を手にしたらボランティ アのおねえちゃんに止められた。その時もまだボランティアサポーター、っちゅう若い人たちが神座に大勢いたけれど、座っているだけで笛を吹いているのが少 なかったから手伝おうと思ったのに。誰の笛かはわからないけど、おっさんが口を付けるのを気持ち悪いと思ったのだろうか。いつもは神座の笛は回し吹きなん だけどなあ…。

いじけているウチに寝てしまったらしく、気がついたら神座にあんだけいた若い連中がいなくなっていて、こんどはマジに笛の吹き手が足りない。

出番が来たと笛を吹き出したら急にお腹がすいてしまって、腹に力が入らなくて笛がちゃんと吹けない。誰のおにぎりかわからないけど、太鼓の横に食べ残しのおにぎりといなり寿司があったので失敬して食べてしまう。今度は怒られなかった。これが祭りさ。

そして食べながら笛を吹いたので時々ご飯つぶも飛ばしたりして。でも神座には三人くらいしかいないからこの時はだいじょうぶ。

結局最後まで、笛の吹けるお囃子の演目では吹き続けた。

なんか、名古屋の方の中学生の舞というのが差し込まれたりしたせいなどで進行が遅く、メインの「榊鬼」が出たのが朝の5時過ぎ。いつもより2時間以上押して10時近くに今年の祭りは終了した。

一足先にMさん宅に行ってこたつで少し寝て、あとから帰ってきた人たちと一緒に朝ご飯を食べて、まったりしていたら12時過ぎてしまった。今回が一番疲れたけれど、やっと「参加」することができて「せいと衆の初心者」になれた気がする。

なんか来年はもっと人が来そうな気がする布川の花祭。前半はMさん宅のこたつで過ごしそうな予感もするのである。

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2008年12月15日のブログ 遠山・下栗の霜月祭り

13日から14日にかけての遠山霜月祭り、下栗地区のまつりに行ってきた。下栗は遠山の中でも急斜面の上の方にへばりつくようにある集落で「日本のチロル」と呼ばれたりしている。

僕も神楽を見に日本中の山深い集落をいろいろ訪ねたが、この傾斜にこの規模の集落があるのは初めて見た。マジ45度以上の斜面にも畑があるのだ。

でもここで取れる蕎麦は美味しくて有名だし、米がとれないから一年に二回作ったというジャガイモの「二度イモ」は小ぶりで味がいい。

http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/057.html

林道のような道をしばらく走って集落へ出るのだが、そのあとはつづれ織りの道がジグザグに上へ上へと延びている。

祭りの会場の拾五社大明神は集落に入ってわりとすぐにあるのだが、駐車場はなく、道路も狭いのでかなり上に車を停めなければならなかった。

http://www.mis.janis.or.jp/~shogachi/

遠山に入ってからまず「丸西屋」さんで蕎麦を食べてから気の出る神社に水のペットボトルを置くという恒例の流れで2時過ぎに下栗に入ったので、すでに神名帳などの神事は終わり、湯の舞いが始まっていた。

湯の舞は面を着けない神事的な舞なのでまだ観客は少ないが、それでもここの湯の舞は最初からけっこう盛り上がって楽しい。

他の地区では夜も更けてから湯の舞で騒ぎ始めるが、ここでは前半から観客参加の演目があるし、御幣で湯もはねたりするのだ。

しかし面が出るのは夜中過ぎなので、民宿に泊まっているふつうの観光客などはちょっと見てからいったん宿に戻って出直してくるようだ。

僕ら「伝承音楽研究所」の三人、別名「神楽三バカ」は神歌や唱えごとがちゃんと聞けるので前半の神事舞の方が好きである。

そしてここは演目と演目の間の休憩がけっこうある。宮元と呼ばれる祭主である長老がかっこよかったので、なんとなく近づいていったら話し好きの人でいろいろ話を聞かせてくれた。昔の厳しかった頃の生活のところでは今まで聞いたことのない表現を聞く。昔の人はあまりにも辛い暮らしなので「もう人間には生まれ変わりたくない」と言ったのだそうだ。そして何に生まれ変わりたいのかというと「一年という短さでもいいから植物になって一度花を咲かせたい」と。

長老は「わしらはそういう経験を乗り越えてきたけど、はたして今の若い人はこの不況を生きていけるのか、あと半年、厳しいよ」とも言っていた。

5時にいったん夕食となり、湯釜の周りの舞処に茣蓙を敷いて氏子一同が飯、味噌汁に焼きサンマ、漬け物、刺身などで食事をとる。この日は氏子が少ないということでその場にいた我々にもどうぞ、と声がかかり一緒にいただくことが出来た。

ここには11月の「フォーラム南信州」で知り合った地元の中学校の田中先生がいたので「甘えてもいいかな」という感じである。「丸西屋」で「もり二枚」というのを食べたので空腹ではなかったが、美味しくいただく。サンマは炭焼きだし、やかんから注がれる燗酒の御神酒もうまい。

そのあと演目が再開されるが、集落へ出て行くという部分で車で仮眠。御神酒もいただいていたので山道を上がって息が切れた。寝ていたら残りのメンバーも車に戻って来て全員でしばし眠る。

そして9時からまた神社へ戻ったが、ここの祭りはずっと立ちっぱなしで見なければならないので、ちょっと辛い。だんだん人が増えてきて動きもままならないので姿勢も固まる。ここは毎年12月13日と日程が決まっているが、今年はちょうど土曜日と重なったので例年以上に人が多いらしい。地元出身の人も多く帰ってきているようだ。

途中で田中先生が突然笛を差し出して「三上さんどうぞ」と。笛を吹けるのはうれしいけれど、ここの笛は難しい。変拍子なんてものでないくらい譜面に出来ないタイミングなのでしばし聞くだけ。音楽的に解釈すると混乱するばかりである。しばらくして、木沢地区でも使っているお囃子になったのでここから参加。このメロディーは拍子がきちんとしていて、僕の「SHIMOTSUKI」という曲でも引用しているので知っていたから吹けた。うれしい。

12時過ぎて面が出てくる時間になるとますます人も増えてきて身動き撮れず、ビデオも写真も撮りにくくなる。今回はただでさえ邪魔なでかいマイクを突き立ててビデオ撮るチームが二つあり、ろくな映像が撮れないと半ば諦めていたので、田中先生のいる小上がりみたいなところへ上がらせてもらって笛吹きをメインに、時々撮影という過ごし方に変更する。笛の吹けない伝承音楽研究所所員も笛を貸してもらったので上がってきたが、撮影がメインの副所長は過酷な条件の中でビデオを撮り続けていた。ごくろうさん。

しかし小上がりに上がれば上がったで上の方は煙も多く、目にしみてつらい。笛を吹くとこの煙がまた口に入ってくるのだ。

時々しゃがんで煙から避難する。

途中、外に出たときに薪の係の人に指示が出ていて「今は乾いたのを燃やして○○の時に生木を」などと言っているのが聞こえた。わざと生木を燃やして燻すんだな。

これは修験のトランス技法の名残に違いない。この列島のスウェットロッジである。インディアン不要。

もうすっかり酔いも醒めているが煙と眠気で朦朧とする。「ねむい、けむい、さむい」と共に「生まれ清まり、再生の儀式」である霜月祭りをたっぷりと体験した。

面を着けた若者が人の中にダイビングをする「四面(よおもて」や鼻高面が熱湯をまき散らす「湯切り」などで祭りは最高潮に達し、「よーーっせ!、よーーっせ!!」のかけ声で狭い神社の拝殿は興奮のるつぼとなり、3時過ぎに祭りは終了。

まだ真っ暗な中、我々はジグザグの道を降りていくのであった。

これで僕の訪ねた本祭の神楽は70回目となった。48ヶ所70回、そのうち夜通しの徹夜のまつりが37回。いつまで体力が持つかなあ。

2008年11月23日のブログ 足込花祭り

また今年も霜月神楽のシーズンとなり、第一弾として奥三河の花祭、足込(あしこめ)地区に行ってきた。

この日は月や坂宇場、河内という地区でもやっていて迷うところなのだが「なんとなく」足込にした。

飯田から南下、途中国道から県道に入って御園地区に山側から入る。ここに「茶禅一」という蕎麦屋があるのでここで蕎麦を食べたかったのだ。ここはもともとお茶の栽培をしていて「おもてや園」という店だったのだが、何年か前から息子さんが戻ってきて蕎麦屋も始めたのである。

http://www.omoteyaen.co.jp/

御園の花祭の中心メンバーとしても有名なお宅だが、御園の花祭の日は蕎麦屋は当然休みなので御園以外の祭りに来ないと食べられないのである。この日は連休ということで満席でしばし外で待つ。天気が良くて助かった。豊橋あたりから遊びに来る人が多いのだが、このあたりに美味しい蕎麦屋は少ないので人気になっているようだ。

自家栽培の蕎麦を使った田舎蕎麦を食べたあとに、御園から近い足込へ。

会場へいったら数人がいるだけ。外でやる神事が始まっちゃったかなと思って訊いてみたら、まだ山のお宮から神様が降りてこないという。

地元の人と少し話しをしていたら遠くから笛と太鼓の音が聞こえてきた。御神輿が降りてきたのである。御神輿を祭壇に安置してお宮の神事をしてからいよいよ花祭の神事。

まずは近くの川へ行って「瀧祭り」、それから会場近くで「辻固め」、裏山で「高嶺祭り」と外での神事が続く。

花祭は一部神道化した地区もあるが基本的には神仏混淆で、御幣を振って数珠を擦ってという神事なのだが、ここでは「六根清浄の大祓」をしたり「般若心経」を唱えたり仏教色が一段と強い。

会場の花宿に入ってからも「神入り」「天の祭り」「竃払い」「湯立」など神事が延々と続いて、舞いが始まったのは7時半頃。

この頃にはお客さんの数も増えてくる。

「市の舞」「地固め」、子供の舞の「花の舞」「山見鬼」「三ッ舞」「榊鬼」「ひのねぎ」「岩戸開き」「四ッ舞」「翁」「湯ばやし」「朝鬼」「獅子舞」と舞が続くが、ここはきっちりと演目が行われるので所要時間も長い。またマイクを使って神歌の「うたぐら」がちゃんと聞こえるようになっている。歌がわかるのはありがたいが、太鼓の音も拾ってしまい、音が割れて最初は聞き苦しかった。

でもだんだんこの「割れた音」も祭りの効果に感じてしまうから不思議なものだ。

そしてこのうたぐらは太鼓の叩き手が歌うのだが、その隣で花太夫や祢宜さんたちが別の神歌を歌っている時があり、これが混沌として面白かった。僕は祭りのこういう部分の二つ三つ同時進行の「祭り空間」がとても好きなのである。

明け方の一番寒い頃が「四ッ舞」だったが、これまでの花祭で一番寒さを感じた。車に戻れば着るものはあるのだが、その元気もなくブルブルという感じである。

「翁」が8時頃で「湯ばやし」が始まったのが9時過ぎ。そして1時間ほど激しい舞を舞うのだ。ここの「湯ばやし」は垂直ジャンプが印象的だった。この部分はちょっと遠山の霜月祭りの若者の舞「四面(よおもて)」にテイストが似ているな。

そしてグラグラに煮立った竃の湯をちょっと湯たぶさに付けて形式的にお祓いをしたあと、竃には水が入れられそのあとはしばし「思いっきり」湯がまき散らされる。ここは周りにいたらびしょびしょになる量だ。事前に靴を袋に入れてしまっておいて良かった。

ここは古い映像を見たときに「湯ばやし」で仮装をしていた人がいたので楽しみにしていたのだが、今は化粧になったようで顔にネコの鬚を書いたような人が10 人くらいいた。半分は中学生、高校生くらいの女の子たちで、大騒ぎしていたのが見ていて嬉しかった。そういえばここは正式の舞にも何人か女の子が舞っていたな。

きっちりと演目をやっているが「開かれて」来ている部分もあるのだ。

阿鼻叫喚、興奮のるつぼの「湯ばやし」のあと「朝鬼」が出て、「獅子」が出て11時過ぎに舞は終了。そのあとまた神事があって12時半頃、御神輿が軽トラックに乗って山のお宮へと帰って行った。

約24時間近くの祭りを体験したわけだが、町の中心部に近い月という地区の会場へ行ってみたらまだ祭りは続いていて、たぶん「四ッ舞」くらいではないだろうか。ここは30時間はやるので終わるのは夜である。

我々はハシゴする時間と元気がなかったので、通り過ぎただけで奥三河をあとにし、新野、伊那、高遠を通って買い物をしながら帰ったのであった。

2008年11月16日のブログ フォーラム南信州「祭の流儀」

飯田市美術博物館講堂で行われたフォーラムにパネリストとして参加。

主催者は実は飯田のシンガーを飯田から発信させるべくレーベルを立ち上げたという人で民俗芸能とはあまり縁がなかったのに、何故かこんなことにということらしい。

これをバックアップしているのが札幌で80年代にラジオディレクターとして一緒に仕事をした増淵敏之氏。いつのまにか地方文化論みたいなので法政大学の教授になってたんですな。

なんか僕の周りには占い師とか、いつの間にか変身するやつが多い。

で、僕が呼ばれたのは増淵氏直接ではなく、もともと別ルートのお祭りファンの縁がつながってのことなので、世の中何が起きるかわからない。まったく。

FM北海道でかつて一緒におバカな深夜放送「流星通信」を作っていた二人が長野県の飯田で一緒にシンポジウムに出たんだから。

さて、シンポジウムの前には遠山霜月祭りのある上村中学校の生徒による舞が披露される。

この中学校では「郷土の舞」を習うという取り組みが続けられてきて、実際の祭りでも子供たちが舞を舞うプログラムを特別に組み入れているのだが、この中学が今年度で廃校となりこれが最後の舞の披露になるというものだった。

女の子にも正式な演目の舞を舞わせているところが素晴らしい。

今の世の中、女の子も神楽を舞いたいと思うのは当然のことなのだが、女人禁制で舞えないところがほとんど。舞わせてもらえても「浦安の舞」という巫女舞のケースが多い。

この「浦安の舞」は皇紀2600 年を祝うために当時の宮内省の雅楽のおエラいさんが創作した巫女舞で、全国の神社に「これを練習して奉納するように」とのお達しが出たために、田舎の神社でもやっているところが多いが、実のところは土着の色濃い神楽には「似合わない」舞である。だって音楽はテープで雅楽をかけるんだもん。

さて、この「郷土の舞」の披露だが、上村には何カ所かで祭りが行われており、それぞれの舞を披露したものだから、当然お囃子も地区の人が交代して担当するわけで、その違いがよくわかるのだ。こんなことは後にも先にもこの日だけのことかもしれないというラッキーな出来事だった。

シンポジウム自体は発言者の持ち時間が短く消化不良ではあったが、ま、それはこういうシンポジウムにはよくあることなので仕方がない。これが第一回目なのでこれから実のあるものにしていけばいいだろう。

同じ発言者として参加した大鹿村の歌舞伎の師匠、片桐登さんにお会いできたことや、懇親会でお会いした坂部の冬祭りの長老、関さんや上村中学校の田中先生などにも会う事が出来て良かった。

で、懇親会でビールを飲んでいい気持ちになったところで「三上さんだけはあと一仕事」ということで神楽ビデオジョッキーを会場を変えて行った。7時半から10時くらいまで、酒も飲みながらの会だったが、部屋を暗くしたせいで寝る人も多かったな。

そんな中で大鹿歌舞伎の片桐師匠だけはシャキっとした姿勢で集中して見てくれていた。感激である。

翌日、「飯田エフエム」というコミュニティーFMとローカルFMの中間のようなラジオ局に呼ばれて少しお話。こういうところはパーソナリティーが祭りのことを知らずにトンチンカンで「一から」説明しなければならないケースが多いのだが、ここではシンポジウムの司会もして、自らも民俗芸能を見て歩いているという人がお相手だったので、話しが弾んだ。

めったにないな、こういうことは。

そして同行のかーすが君と一路遠山へ車を走らせる。遠山中毒の僕たちは飯田まで来たら遠山に寄らずには帰れないのである。

スーパーでミネラルウォーターを大量に仕入れ、いつもの神社の境内に並べてからいつもの蕎麦店「丸西屋」さんへ。月曜は意外と忙しいらしく、満席で蕎麦を待つこと一時間以上。

飯田から電話してとっておいてもらわなかったら蕎麦がなくなっているところだった。なんとか玄蕎麦のもりを一枚ずつゲット。そして天ぷら盛り合わせに大黒屋の豆腐の冷や奴に二度芋の田楽。冷や奴はおかみさん特製のタレが旨い。いろんな香味野菜が醤油につけ込んである。二度芋はジャガイモなんだけど、このあたりは米がとれないので一年に二度収穫するという芋で、小ぶりで日本に入ってきた頃の古い種類だとか。

で、蕎麦が最後だから手持ちぶさたで「てんから」を飲んでしまったではないか。ごめん、運転のかーすが君!!

「てんから」、旨い。

僕の顔を見たおかみさんが「新聞に載っていたから見せようと思ってとっておいたに」と神楽ビデオジョッキーの告知記事が載った「信州日報」を出してきてくれた。おお、たしかに載っている。すんげえローカル誌でなんか感激。一ヶ所神楽が神学と間違っていた。ひょっとしたら記者は「しんがく」で変換したのかもな。

さて、丸西屋さんを出たのが3時半、いつもの温泉「かぐらの湯」を出たのが4時半。気が移った水を回収して遠山を出たのが5時頃だった。

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text & photo ⓒ Toshimi Mikami